バラエティ番組などですっかりネタにされてしまっている「日本一暑い」K市には祖母が居て、子供のころから毎年一年に一回、あの駅で降りていた。
改札を出ると私の小さな手は母から祖母へと繋ぎ替えられる。
上品に着物を着こなしてゆっくり歩く祖母の手はいつも燃えるように熱くて、うだるように照りつける太陽の化身のようだった。
「今年も熱いよ」と言うと、「皆が熱いのだから」と窘められたものだ。
今年も私はこの駅に降り立ち、祖母と手を繋いでゆっくり歩く。
「おばあちゃん、今年は珍しく涼しいね。もう熱さを我慢しなくていいのよ。」
その途端、繋いでいた手が軽くなった。
「72年間、我慢したわ。」
1945年8月15日未明。
日本本土で一番最後に、この地に空襲があった。